茶席でよく見かけるお菓子の代表である落雁。色も形も様々で、季節やその席の趣向を演出してくれます。
けれど、落雁とは何か実はよく分からない、木型で作られたお菓子は全て落雁ではないの?面白い名前だけどその由来は?などの声を耳にします。
そこで、今回は落雁について、基本的な事柄を学んでみましょう。
- 落雁とは?
- 名前の由来については様々な説がある
- 落雁の歴史
- 三銘菓
落雁とは?
落雁とは、もち米、麦などの穀類の粉と、砂糖や水あめなどの糖類を混ぜ合わせ、型に入れて打ち出したお菓子です。型は、伝統的には木型が使われます。
和菓子屋さんの店頭などで、古い木型が飾られているのを目にしたことがある方もいらっしゃるのではないでしょうか。
このように、木型に入れて打ち出したお菓子を、打ち物、打ち菓子と呼び、落雁は打ち物の代表です。
他によく見かける打ち物として、和三盆糖があります。和三盆糖とは本来砂糖の種類であり名前ですが、この和三盆糖のみを木型で固めたお菓子も、こう呼ぶことがあります。落雁との違いは、穀類の粉が使われていないこと。
なお、和三盆糖は繊細な甘さで上質の砂糖であるため、落雁に使われている砂糖が和三盆糖ということはよくあります。
落雁は、この通り穀類の粉が使われているため、和三盆糖のみの打ち物と比べて、穀類の風味が感じられるのが特徴です。
品物によって、さほど穀類が主張せず糖類の甘さのみが引き立つ繊細なもの、粉の香りがしっかりとした風味豊かなものとありますので、好みや他の干菓子との取り合わせで選んでみてください。
なお、穀類の他に、豆をひいた粉を使う豆落雁、蕎麦粉を使う蕎麦落雁などもあり、これらは粉の香りをしっかりと味わえるものが多いように見受けられます。
名前の由来については様々な説がある
あらためてよく見ると趣深い名前がつけられている「落雁」。この名前はどのように付いたのでしょうか。
実はその由来は、明らかになっていません。
一つの説は、中国のお菓子「軟落甘(なんらくかん)」の「軟」を略したものという説です。しかし、この軟楽甘というお菓子がどのようなものであったかは不明です。
もう一つの説は、黒胡麻を入れた落雁を見て、黒胡麻を雁が列をなして降りていく様に見立て、近江八景の「堅田(かただ)落雁」の光景を連想した、というものです。
なお、落雁に関してよく語られる逸話として、後陽成天皇が献上された落雁を見て「白山の 雪より高き菓子の名は 四方(よも)の千里に 落つる雁かな」と詠んだというものがあります。しかし、後陽成天皇の時代より前から、京都ではこのお菓子を「落雁」と呼んでいたという説もあり、この逸話と由来の関係も定かではありません。
落雁の歴史
落雁は、名前の由来と同じく、その起こりも明らかではありません。しかし、初期の落雁は、保存や携帯のために穀物を押し固めたもので、竹筒や簡素な木材を使い、丸や四角などの単純な形をしていたと考えられています。
文献では、天正9年に織田信長が徳川家康をもてなした際の献立に見られます。また、寛永年間には、虎屋が御所に落雁を納めていたということが、史料から見てとれます。
形が凝ったものになったのは江戸時代と考えられており、元禄年間には、木型を使って、植物、動物、調度などの形をした落雁が作られていたことが確認されています。そして、江戸時代後期の文化文政の頃には、製造技術が向上したこと、贈答や行事での使用が増えたことにより、大ぶりで華やかな物がもてはやされるようになりました。
また、庶民の間でも、茶会、お供え、間食の用のため親しまれるようになりました。親戚や知人を訪ねる際の手土産にも使われていたようです。
明治以降も、式典、お祝い、不祝儀などで、現在よりも大ぶりの落雁が用いられました。特に財閥などは、行事の際に大きく意匠も豪華なものを注文していました。なお、昭和の戦時中には、戦意高揚のために、日章旗、軍艦、桜や富士山などの意匠のものが作られ、兵士への慰問に配られることがありました。戦後も間もない時期には、戦前と同じように行事の記念品などに多く用いられていましたが、昭和30年代頃を境に、だんだんと姿を見ることが少なくなります。
現在では、よく見られるのは、茶席に使われるような小ぶりのものか、お彼岸やお盆などの時季にお供え用として作られる大ぶりなものとなりました。
落雁を知りたいならこちらの三銘菓
さほど知られてはいないようですが、三銘菓と呼ばれるお菓子があります。この三銘菓はなぜかいずれも落雁。落雁を知ろうとするなら、この三銘菓は知っておきたいところですので、最後にご紹介します。
■森八の「長生殿」
石川県金沢市の森八は、加賀藩御用菓子司。その長生殿(ちょうせいでん)はもち米粉と和三盆糖で作られた落雁です。
紅白の2色があり、紅色は紅花の天然色素で染められた、華やかながらやわらかな色合いをしています。
加賀藩「3代」藩主・前田利常「公」の創意、小堀遠州の命名と揮毫により生まれた、歴史ある落雁です。
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■越乃雪本舗大和屋の「越乃雪」
新潟県長岡市の越乃雪本舗大和屋は、文化6年に長岡藩の贈り物用菓子の御用達を命じられた老舗。越乃雪(こしのゆき)の材料は、越後のもち米をこのお菓子のために特別に加工した粉と、和三盆糖です。
9代藩主・牧野忠精公が病に伏した際に、同店の祖である大和屋庄左衛門が献上したところ、忠精公の食欲が進み、ほどなくして病が治ったとか。口に入れるとほろほろと崩れる、名前も食感も雪国らしい落雁です。
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■風流堂の山川
島根県松江市の風流堂は、茶人として有名な松平治郷(松平不昧)公を生んだ松江に店を構えるお店。創業は明治時代ですが、この山川以外にも、松江銘菓と呼ばれるお菓子をいくつか作っており、城下町・松江を代表するお店です。
山川は、不昧公が考案し、不昧公御好と呼ばれるお菓子のうちの一つ。赤と白が対になっており、赤は紅葉の山を、白は川(水)を表したものといわれます。
口の中でさっと溶け、抹茶の風味を最高に引き出す落雁です。
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