今や日本のみならず、海外でもお抹茶ブームが浸透しつつあるようで、様々な食品にアレンジされています。
いろんな形で日本の文化が知られることは、とても嬉しいことですよね!
今回はそんなお茶を通した、海外での交流のお話について紹介します。
2018年9月、ニューヨークでギャラリーを開催
長年ものづくりを続けてきて、ようやく一つの夢が叶いました。それは、自分の陶芸作品を披露することです。
渡米するにあたり、これと言って、ニューヨークで何が流行中であるとか、受けが良いなどのリサーチは全くせず臨みました。
ありのままを見てもらうことが、一番の目的だったからです。
まずは黒土で作ったお抹茶碗。平茶碗と、丸みを帯びた野点用の小振りのお茶碗。
それから、ここ数年、制作を続けている振り出しを、ミニチュアサイズにしたものをメインに格子状の展示棚を持ち込んで飾りました。
正式には振り出しには、金平糖が入らないと意味をなさないのですが、インスタレーション的な要素をどうしても含みたかったので、カラフルな小さな蓋つき瓶、鼻煙壺のようなデザインで、すべて色や形が異なるものを50点ほど制作しました。もちろん、実用としての用途も含んでいるので、「日本一小さい金平糖」という砂糖菓子を入れていて、サプライズ的に喜んでもらうという作戦は練っていましたが。
現地で会った茶道好きなアメリカ人女性と交流!
展示1日目。どんな方がいらっしゃるのだろうと、期待と不安、それに時差ボケまで加わって、ほぼ眠れないまま初日を迎え、ちょっとした興奮状態だった記憶があります。そんな長い一日の始まりでした。
まず、在ニューヨークの日本の方がたくさんご来場下さり、展示している作品を手に取って、様々なご感想を頂き、異国ながら、日本語でコミュニケーションが密にできるので、大変勉強になりました。さすが多人種が暮らすこの土地ならではという感じで、通りすがりの現地の方もお立ち寄り下さいました。
特に、一見して何か分からない振り出しに関しては、とても興味を持って下さったようで、「これは何?」と尋ねられることが多かったです。「何が入っていると思う?」と反対にクイズを出してみると、皆さん、様々な答えが返ってきて面白かったです。
その中で印象的だった一人が、ショートカットの髪形に、グリーンの服がよく似合う、20代くらいの女性でしょうか。どうやら彼女は、茶道に大変興味があるようで、随分真剣に作品を見て下さっているようでした。「どうぞ手に取って下さいね。」とお声がけしたら、微笑んで、野点の小さなお茶椀を手にして、嬉しそうに模様を眺めていました。
そうしている間に、私が側から、制作工程や、掻き落としという技法で模様をつけていることなどを説明しているところ、モチーフになっている花の模様にとても興味津々で、「この花はなんという種類なの?」と問い掛けてきました。一つは、「ツユクサ」だったのです。
7月のお茶花に使われることもあり、そこら中の野に咲いている幼い頃から身近にある草で、私が好きだったものです。そのツユクサというのが、英語名の品種が思いつかず、説明に苦労していると、お互いにスマホで調べたりして、「この花ね!見たことないわ。」などと随分盛り上がりました。主に東アジアに自生しているそうなのですが、一部アメリカ北部にも帰化しているそうです。
けれど、このニューヨークの街中では雑草はおろか、都会の中の公園のような場所に行かないと緑がなかった印象があります。それで、新鮮に映ったのかもしれません。
そして、そのツユクサ以外にもう一種類、朝顔を柄に施したお茶碗があったのですが、こんなお話をしました。
– 朝顔と豊臣秀吉
朝顔のエピソードは、こう言った逸話でした。
16世紀、朝顔がまだ珍しい植物だったころ、千利休は丹精込めて朝顔を育て、庭いっぱいに花を咲かせました。
やがてその評判は太閤秀吉の耳にも届くことになります。
ぜひ一度朝顔の花を見たいものだと太閤に所望された利休は、朝の茶会に太閤を招きました。
約束の日、太閤は期待に胸を躍らせて庭に入りましたが、どうした訳か、朝顔の花は跡形もありません。
地面は平らにならされ、美しい砂利が敷かれているばかりです。太閤はむっとして茶室に入っていきましたが、
そこには一瞬で彼の機嫌を直してしまう光景が待ち受けていました。
床の間には珍しい青銅の器が置かれ、そこに一輪の朝顔が活けられているではありませんか。
利休は、単に粋な活け方をしたのか、それとも当時の秀吉の人を人と思わず、戦で殺戮を繰り返したことを批判して朝顔の首を刈り取ってしまったのだとか、いろいろと言われはありますが、その本来の指し示す意味は、利休本人にしか知りえません。
どこまで、どのように彼女とお話ししたかは、英語と日本語の記憶が混ざって曖昧ですが、そもそも彼女からそのような話を耳にするとは考えもしていませんでしたし、その他にも、とても茶道に精通している様子が伺えるお話を聞くことができました。
聞いたところ、ニューヨークで日本人の表千家のお茶の先生にならっているようで、「お抹茶の苦さは大丈夫なの?」と尋ねると、とても美味しいから好きで、よくお茶を立てると言っていました。
確かに抹茶ブームが到来していると言うのは薄々知ってはいましたが、ドーナツやクッキーなどの焼き菓子に混ぜられたり、抹茶ラテのような一般受けする形で飲まれたりするのが主流だと思っていたので、正直、ストレートな味で受け入れられるのは、すごいなと感心しました。
最初は、英語で話すことが精いっぱいだった私にとって、お茶という共通言語を見つけてから、何だか急に距離が近づいたように思えました。
あれやこれやと話題は飛び、夢中にお話ししている間に結構な時間が経っていたと思います。ニューヨークは碁盤の目のようで、空は無限には広がってはいませんが、ブルックリンスタイルのレンガ造りの一室をリノベーションしたそのギャラリーから少しだけ見える外の様子を、「私、晴れの日より曇っている日が好きなの。」と言って微笑みました。
晴天より、こういうお天気の方が静かで落ち着くとも言っていました。とても素敵な彼女は、「ありがとう」と日本語で言って立ち去るときに、私が「そのグリーンの服、とても似合うね。お抹茶色ですね。」というとクスッと笑って、さようならをしました。
主人と客とが一体になって、この世に至福を作り出す茶の湯の世界には、ある種、そこに言葉ななくても相通じる世界があると私は思います。私のした体験もその一つかもしれません。
– お茶の歴史について
お茶は元々、薬として用いられ、後に飲み物として愛されるようになりました。
やがて15世紀の日本において、美を極める、茶道の形が完成します。
茶道の精神は、人がお互いを慈しむ心を大切にする文化です。
現代人の日常生活においては、自動販売機から購入してゴミ箱に捨てていくペットボトルのお茶。
当時の茶人たちが目の当りにしたら、どのような言葉を発するのでしょう。
とは言え、それが間違っている、やめるべきとも、現代人の自分からすると言い難いです。
お茶っていいなと改めて実感!
流れゆく時代の中で、茶の湯の形も常に変化してきた事実があるゆえ、現代には現代に必要なあり方も認めるべきなのかもしれません。
ただ、かつてのように、ゆっくりとした流れではなくなってしまったこの世界で、ふと立ち止まって、
ピュアな心でいられる時間を与えてくれるのが現代のお茶なのかも、という気さえします
日々の暮らしを美しく生きる知恵が綴られている茶道の世界。
それを難しく考えるあまり、敬遠してきた自分自身にも言えることなのですが、これからを生きる私たちにとって大きなヒントが隠れているのではないでしょうか。