茶道の行事で重んじられる「五節句」5つの節句って何?

茶道の行事で重んじられる「五節句」5つの節句って何?
2020年12月21日 白玉椿
In 茶道の作法

日本には、「五節句」と呼ばれる5つの節句があります。5つとは、1月7日の人日(じんじつ)、3月3日の上巳(じょうし)、5月5日の端午、7月7日の七夕、9月9日の重陽(ちょうよう)のこと。江戸時代には幕府により式日と定められた公式の行事でした。

季節行事、年中行事を大切にする茶道の世界では、節句が近くなるとその趣向を取り入れることが多く行われています。五節句について知っていると、その趣向を楽しむことができるでしょう。

○節句とは

中国では古くから、物事の性質を全て陰と陽に分ける陰陽の思想があります。数字については、奇数を陽、偶数を陰とします。そして、陽が重なると陰になるとの考え方から、奇数が重なる日に陰が生じることを避けるため、邪気を祓う行事を行っていました。人日はお正月のため特別の扱いですが、それ以外の4つの節句が、奇数月の月と日の数字が同じ日であるのは、このためです。

中国でのこの風習は、日本に入ってくると、各地域で行われていた季節の風習と混ざり、日本に特有の行事となりました。

なお、「節句」は元は「節供」の漢字を用いていました。「節」とは季節の変わり目、「供」
とはお供えの意味があり、季節の変わり目の大切な時季に神様にお供えをするという意味でした。江戸時代初期頃から、「節句」の文字を使うようになったと伝えられています。

旧暦では季節に合っていた五節句ですが、現在では新暦で行うことが多いため、季節が1か月から1か月半ほどずれています。例えば、桃の節句ともいわれる上巳の節句の時季には、桃はまだ咲いていません。旧暦の日付で節句を行ってみると、本来の季節感が感じられることでしょう。

新年が明けて訪れる「人日」

新しい年を迎えたおめでたい空気が少し落ち着く頃に訪れるのが、1月7日の人日です。

古代中国では、正月の1日から7日までの7日間の日が、それぞれある生き物の日とされて、その生き物を大切にしていました。7日は「人の日」であったため、そこから「人日」になりました。一方日本では、この日に野に生えた小松を引き抜く「小松引き」、若菜を摘む「若菜摘み」の風習がありました。これらが合わさって、人日に七草粥を食するという風習になったようです。

春の七草は、芹(せり)、薺(なずな)、御形(ごぎょう)、繁縷(はこべら)、仏の座、菘(すずな)、蘿蔔(すずしろ)です。口にしてみると、五七五七の調子になっており、案外覚えやすいと思われるのではないでしょうか。

茶道の席では、お菓子が行事の趣向を取り入れやすいでしょう。人日といえばこれ、と誰もが思い浮かべるようなお菓子はありませんが、和菓子屋さんの中には、七草を混ぜ込んだ餅生地で餡を包んだ七草餅を作るところがあります。

雛祭りとして今も身近な節句「上巳」

女の子のお祭り、雛祭りとして今も身近な節句が上巳です。

古代中国では、3月の最初の巳(み)の日(上巳)に水辺で身を清める風習がありました。それが時を経て、奇数が重なり邪気にみまわれやすいと考えられた3月3日に行うように変わります。これが日本に伝わると、平安時代には、人形(ひとがた)や形代(かたしろ)と呼ばれる、紙や草木で作った身代わり、子供の身代わりとして側に置かれていた人形(にんぎょう)を川や海に流して邪気を祓うようになりました。室町時代頃からは、雛人形を流さず飾っておくようになり、江戸時代になると、女の子の誕生を祝って初節句に雛人形を飾る習慣が広まり、現在の雛祭りに近いものになりました。なお、上巳は桃の節句とも言われます。これは、旧暦ではこの頃が桃の開花時季であるからだとも、桃は不浄を祓う植物だからとも言われています。

上巳の節句のお菓子は、魔除けを表す赤、清らかさの白、健やかさの緑の3色からなる菱餅、引きちぎったような形の餅に餡と桃色などのきんとんを乗せたひちぎりなどが定番です。邪気を祓うといわれる蓬を使った蓬餅もよく見られます。その他、桃、蛤などの意匠のお菓子も、上巳らしいといえるでしょう。

上巳と並んで今も身近な節句「端午」

上巳と並んで今も身近な節句である端午、こちらは男の子とお祭りとして知られていますね。
「端午」とは、5月に限らず、月の初めの午(うま)の日を指す言葉でした。中国では、「午」と「五」の発音が似ていたこと、同じ数字が重なり特別の意味が感じられることから、やがて5月5日とされることとなったようです。奇数が重なることに加え、高温多湿で伝染病が流行るなどしやすかったため、蓬や菖蒲などの薬草で邪気を払う習慣がありました。一方日本では、田植えを目前に控え、田の神に奉仕する若い女性「早乙女」が禊ぎをおこなう時季でした。端午の節句は、これら中国と日本での意味合いが合わさったうえ、「菖蒲」が「勝負」と同じ音であることから男性の節句の意味合いが強まり、現在知られる行事になったと考えられています。今でも、菖蒲湯に入る風習はよく知られていることでしょう。

端午の節句にいただきたいお菓子の代表は、柏餅や粽。柏餅が食されるのは、古来神聖な木とされ、また、新しい葉が出るまで古い葉が落ちないことから、家が続いていくことを思わせる縁起の良いものだからです。その他に端午らしい意匠のお菓子としては、菖蒲、鯉のぼりにちなんだ鯉、武具などを選ぶと良いでしょう。

織り姫と彦星の物語を思う「七夕」

笹の葉に短冊を吊るし、織り姫と彦星の物語を思う七夕。上巳や端午と並ぶ行事という感覚は薄いかもしれませんが、五節句の一つです。

中国には、今は日本でもおなじみの織女(織り姫)と牽牛(彦星)の伝説がありました。そして、器用な織女にあやかって、女性たちが裁縫の上達を祈ってお供えものをする乞巧奠(きっこうでん)の風習が生まれます。これが日本に伝わると、この時季に行われていた水浴びや洗髪で身体を清める風習、7月7日を七日盆としてお墓の掃除などをする風習と複雑に合わさり、今のような七夕になったと言われています。

七夕らしいお菓子の代表は、やはり星空を思わせるもの。表現はさまざまですので、色々と見てみるのも楽しいものです。他には、織り姫にちなんだ糸巻き、天の川に橋をかける鳥とされる鵲(かささぎ)、かつては梶の葉に墨で願い事を書いていたことから梶の葉などが、
七夕らしい意匠です。

菊の節句「重陽」

五節句の中では最もなじみの薄い節句かも知れません。菊の節句と呼ばれます。

中国では菊は不老長寿の霊力を持つ植物と考えられていました。また、9は最も大きな陽の数字のため、これが重なる9月9日はおめでたい日とされ、この時季に咲く菊の花を飾り、お酒を酌み交わしてお祝いをしていました。この風習が日本にも平安時代に広まると、杯に菊を浮かべた菊酒を飲み、詩歌を楽しむ観菊の宴が行われるようになります。また、前日に菊の花に綿をかぶせて戸外に出しておき、重陽の日に香りと露を含んだその綿で身体を拭って清める、「着せ綿(きせわた)」が行われるようになりました。

お菓子は、菊をかたどったものを用意すれば、それだけでも重陽らしい茶席となります。中でも着せ綿を模した主菓子は、一目で重陽のお菓子と分かるもの。練切などの生地で菊の花を形作り、その上に白い生地をきんとんのようにふわふわと乗せることで、着せ綿を表したものが多く見られます。