茶道の歴史を辿る 〜お茶と千利休〜

茶道の歴史を辿る 〜お茶と千利休〜
2018年8月14日 MELETY編集部
In 芸術/文化

茶道は今現在も、粛々と受け継がれていて日本の伝統文化ですが、歴史を遡ると、なんと安土桃山時代に千利休が確立した侘茶から始まっています。
今回は、茶道における歴史を紐解き、茶道に関心のある方は、少しでも予備知識として念頭に入れとくと見方が変わるかもしれません。

 

「お茶」自体は元々中国からの輸入品

日本国内でコンビニや高級店まで幅広く取り扱われているお茶ですが、種類も煎茶やほうじ茶、抹茶など、豊富です。そんなお茶ですが、日本に広まったのは平安時代といわれています。平安時代に遣唐使を遣わし、代わりに中国からの使者によってお茶が日本へ輸入され、薬として常飲されていたそうです。その後、貴族の間でお茶が飲まれるようになりました。

また、何百年後かの鎌倉時代になり、臨済宗の僧侶栄西が中国からお茶を持ち帰り、抹茶を飲む習慣(喫茶文化)を持ち帰ってきたのが始まりのようです。これが京都の宇治商人の手にわたり、「宇治茶」としてその後愛用されるようになります。お茶の生産が開始されると、貴族だけでなく武士階級にいたるまで浸透していき、お茶の作法や儀礼を定めた書物も誕生します。

参照:趣味時間

 

茶道の原型は室町時代に完成

室町時代に、「闘茶」という、飲んだお茶の銘柄を当てるイベントが流行することになります。「闘茶」は博打としても多くの大名の間で流行することになりますが、足利義政のお茶の師匠の村田珠光がこれを禁止。その後は、精神的なあり方を重視する「侘茶」の傾向になります。

村田珠光は、義政の師匠というだけでなく、この侘茶および茶道の原点を見出した人物です。当時庶民のあいだに伝わっていたシンプルな「地下茶の湯」の様式を取り入れ、さらに大徳寺の一休宗純から学んだ禅の精神を加えることで、精神的・芸術的内容をもつ茶道を作りました。
参照:茶道の歴史

 

千利休の登場

戦国時代、安土桃山時代に千利休らの手によって確立されていきます。千利休とは、織田信長、豊臣秀吉などの天下人に使えた茶人で、本能寺の変の後に豊臣秀吉に仕えました。千利休は、先述した村田珠光の弟子の弟子にあたります。

天正15年(1587年)に、北野大茶会を主管したり、また黄金の茶室の設計などを行う一方、草庵茶室の創出・楽茶碗の製作・竹の花入の使用をはじめるなど、わび茶の完成へと向かっていき、茶人として名声と権威を誇った経歴がある人物です。しかし、晩年は豪華な茶道を好む秀吉と、おもてなし、侘び寂びを趣向する千利休の間でポリシーが対立し、最後は秀吉によって切腹を命じられてその生涯を終えたとされています(秀吉から切腹を命ぜられた理由は未だ定かではない)。

千利休は、茶道の作法や儀礼だけでなく、「草庵茶室」という、狭いスペースでお茶をたてて飲むことだけに従事するようにと創案された茶室を創設したり、茶室から見事な風景を望めるようにしているなど、おもてなしの心を追及しました。

よければ千利休に関する動画もあるので、ご覧になってみてください!

 

明治期〜現代まで

そして、茶道は明治維新を成し遂げて近代化を進める日本国の中では、一度衰退もしましたが、その後茶道は女子教育の一つとして取り入れられ、21世紀現在では海外でも注目の文化となっているほど、その日本の心や文化を象徴する茶道が世界的に認知されるようになりました。

いかがでしたか?ざっと駆け足になりましたが、茶道の歴史について解説しました。
これらを念頭に、茶道に触れると、その長い歴史と由緒正しき礼儀や作法がどれほど重要かが認識できると思います。
皆さんも歴史について他に本など読んでみてください!